1933年に竣工し、その後戦災を免れ、現在まで銀座の書店として親しまれている教文館ビルは、アントニン・レーモンドの設計によるものです。当時はビル屋上から、国会議事堂や富士山が見渡せ、レーモンドの設計事務所もおかれていました。レーモンドは44年の滞日で400余の建築物をつくり、日本の建築の発展において多大な影響と功績を残した建築家です。戦前に内外コンクリート打ち放し住宅を建て、伝統的な日本建築や民家、大工の仕事に共鳴し、木造モダニズム建築を誕生させました。
「教文館ビル」は「聖書館ビル」に隣接しており、外観は1つのビルのように見えます。入り口も1つなので余計にそう感じますが、内部はエレベーターホールや階段室を共有しつつも、2棟が分かれてそれぞれ異なる構造を持っていることがわかります。外観はテナントの入居に合わせてリニューアルしているものの、内部に入るとエレベーターホールや階段部分などに昭和レトロな雰囲気を感じることが出来ます。特にエレベーターホール部分の床大理石は竣工当時のものがそのまま残っています。
Antonin A. Raymond (1888~1976)大正8年帝国ホテル設計のためライトに従って来日、翌 年に独立して東京女子大学総合計画をはじめ、聖路加国際病院、伊・仏・米の各大使館などを設計した。その他、戦前の代表的建築物には、兵庫県小林聖心女学 院(26)、教文館(31)、カトリック軽井沢教会(34)、東京女子大学礼拝堂及び講堂(34)がある。昭和23年再び来日し、リーダーズダイジェスト 日本支社、国際基督教大学をはじめ数々の傑作を生み、戦後日本の近代建築の発展に主要な役割を果たした。作品の特徴は、端正な近代建築の中に西欧の古典的 教養と丸太や障子など日本的素材が巧みに織り込まれた独特の美しさにある。また吉村順三、前川国男ら日本の代表的建築家を育てた功績も大きい。