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1750年にヨハン・セバスチャン・バッハが死の床に就いていた時、彼の書架にはどんな書物があったでしょうか。


 彼の遺産目録にはそうした書物の一覧がありますが、その大半は散逸してしまいました。
 しかし、幸運なことに、バッハにとって最も大切な書物であった三巻本の聖書はアメリカ・セントルイスの或る図書館に現存することが分かりました。
 この聖書はバッハ自筆の書き込みがある、彼の生涯に関する最重要資料の一つです。この度、本書のファクシミリ版が出版される運びとなりました。

バッハ聖書の来歴


1934年:その発見


 バッハが亡くなったとき、彼の書庫にある全蔵書のリストが作成されました。このリストの冒頭には「カロフの著書」(Calovii Schriften)という一文があります。これが一体どんな書物を指しているのかは、1934年にアメリカのフランケンムースで非常に特別な書物が発見されるまで、長い間良く分かっていませんでした。


 1934年の6月のことでした。ルター派の牧師であるクリスチャン・G・リーデル氏は、ミシガン州フランケンムースでのアメリカ・ルーテル教会のミズーリ・シノッドの会議に出席していました。彼が従兄弟のレオナード・ライクル(Leonard Reichle)氏の家に滞在していた時、或る聖書を見せられました。そのタイトル・ページには「バッハ」という署名を直ちに認めることができました。


 屋根裏部屋を探すとその他の二冊の聖書の分冊を見つけました。ライクル家では1830年代に三巻本の『カロフ聖書』を購入していたのです。1938年の10月にライクル氏はこの三巻本をミズーリ州のセント・ルイスにあるコンコーディア神学校図書館に寄贈し、現在もそこに所蔵されています。この『カロフ聖書』には、バッハ自身の筆跡で――これは筆跡鑑定やインクの科学的分析によってわかりました――多くの下線や欄外への書き込みがあります。


 この『聖書:マルティーン・ルター博士による』(Die Heilige Bibel/nach S.Herrn D.Martini Lutheri)――通称『カロフ聖書』――は1681年から1692年にかけてヴィッテンベルクで刊行されました。これはこの街の神学者アブラハム・カロフ(羅.カロヴィウス)による注解のついた聖書で、ドイツ語の副題が示すようにルターの著作群に多くを負っているものでした。六部からなる同書は三巻本に製本されていました。バッハの注記や下線があるため、この『バッハ・カロフ聖書』は、バッハ研究にとって最も重要なものとなっています。


 「バッハのルター研究が相当本格的なものであったということをこの史料に基づいて実証できます。例えば、創世記第三章を取り扱う際に、特に原罪の教理にとって鍵となる創世記三章七節に関してカロフは詳細にルターの著作を引用しています。カロフはルターのコメントを短く省略してしまっているのですが、バッハは省略された言葉を欄外に注意深く書き加えているのです」(アルバート・クレメント)


 オランダの出版社ファン・ヴェイネン社は、バッハの聖書の完全なファクシミリ版を作成するために、1997年にコンコーディア神学校と初めて接触しました。それから15年余を経て、オランダ、ポーランド、アメリカの各社のコラボレーションの下、このファクシミリ版の刊行が2014年に予定されています。