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内容詳細
太陽を兄弟とし、小鳥に語りかけ、病者と貧者を愛した聖者の軌跡
新たな修道生活の創始者にして中世最大の聖人に関する、最も初期の証言を集成した源泉資料集。“教会改革者”の姿を描き出したチェラノのトマスによる初の公式伝記から、聖ボナヴェントゥラによる神学的著作の『大伝記』、珠玉の文学作品として名高い『小さき花』に至るまで、初の邦訳を含む聖人伝8作品を収録。
研究・霊的読書に欠かせない貴重な原典!
〈収録作品〉
- チェラノのトマス『聖フランシスコの生涯(第一伝記)』
- 『会の発祥もしくは創設(無名のペルージア伝)』
- 『三人の伴侶による伝記』
- チェラノのトマス『魂の憧れの記録(第二伝記)』
- 聖ボナヴェントゥラ『聖フランシスコの大伝記』
- 聖ボナヴェントゥラ『聖フランシスコの小伝記』
- 『完全の鏡』
- 『聖フランシスコの小さき花』
書評
最も愛される聖人の真の姿に近づくために不可欠な書
神崎忠昭
アシジのフランシスコ(一一八二頃─一二二六)は大きな器だ。人々はそこにそれぞれの希望や怖れや未来を託する。それゆえに、さまざまなフランシスコ像が存在する。
若い頃、図書館で雑誌のバックナンバーを繰っていると、清貧と説教を説いたが教会への不従順ゆえに異端と断じられたワルド派はフランシスコ会の先駆者だとするフランシスコ会士の研究(Berard Malthaler,“Forerunners of the Franciscans: the Waldenses,” Franciscan Studies, Vol. 18 (1958), pp. 133-142)を見つけ、同じ雑誌の七年後にその結論を全否定し、まったく論理にかなっていないとする論文(Felix M. Bąk,“If it weren't for Peter Waldo, there would have been no Franciscans,” Franciscan Studies, Vol. 25 (1965), pp. 4-16)に出会ったときは驚いた。異端を修道会の先行者とすることが許せなかったのだろう。フランシスコ像をめぐっては、フランシスコの没後すぐから、同じように修道会のうちで激しい対立が生じた。フランシスコの理想の完全な実現を目指し全面的財産放棄を主張する者もいれば、組織運営のためにはある程度の財産所有は認めざるを得ないとする者も少なくなかったのである。ウンベルト・エーコが『薔薇の名前』(一九八〇年)で小説として描いた世界である。論争はさまざまに伝記に反映され、多くの像の彼方に「謎」としてのフランシスコがいる。
フランシスコ像の多様性はフランシスコ会内部に留まらない。フランシスコほど愛される聖人は少ないのだ。彼を描いた映画ではもっとも有名であろうゼフィレッリの『ブラザー・サンシスター・ムーン』(一九七二年)は彼の青春時代をベトナム反戦的なヒッピー運動のように表現し、インノケンティウス三世の幻視(ヴィジョン)で閉じるが、ロッセリーニの『神の道化師、フランチェスコ』(一九五〇年)は教皇の認可を得たのちのフランシスコとその弟子たちの姿を、『聖フランシスコの小さき花』に基づいて、子どものような純真さとともに、理想の実現に悩む人々として描いている。その差は驚くほどだ。このような多様さについては、たとえばCyprian J. Lynch, O. F. M. (ed.), A Poor Man's Legacy. An Anthology of Franciscan Poverty (the Franciscan Institute of St. Bonaventure University, 1988)を読むならば、どれほど多くの人々がフランシスコを真摯に仰ぎ見てきたかが分かろう。それぞれの思いは「フランシスコとは誰か」という問いにつながっている。
本書は、その問いに答えるのに必須な8編の伝記および回状1編と勅書1編の翻訳を収録したものである。少々古いが、手許にあるイタリア語翻訳資料集Fonti Francescane, 3e edizione (Padova, 1983))と比べても、最初期の主な伝記が網羅されている。これら伝記8編のうち5編は既訳の再録であるが、それらの翻訳は現在では入手が難しくなっている。また既訳であっても、手を入れているため、文章はどれもこなれており、読みやすい。ただ導入部が手薄く、最小限の解題を付しただけというのが惜しまれる。だがフランシスコ自身の著作、たとえば『会則』『遺言』『書簡』『祈り』なども刊行予定と聞く。フランシスコの生涯や息吹に親しむに不可欠のものとなろう。
二〇一三年に選出されるや、新教皇はフランシスコと名乗り、貧しい人々の味方、平和の使徒たらんとした。アシジのフランシスコの理想が現代においても人々を惹きつけ、今も活き続けていることの証拠であろう。現代は、この伝記資料集に描かれた姿を通じて、どのような希望や怖れや未来をフランシスコに託するのであろうか。
(かんざき・ただあき=慶應義塾大学文学部教授)
『本のひろば』(2016年3月号)より